戦後間もない1949年(昭和24年)、当時の京都大学植物学教室の北村四郎教授が発案され、同教室の村田源先生(現顧問)、堀川富弥先生と園部高校の教員だった高木虎雄氏によって「京都植物同好会」が誕生。高木氏が会長になられた。以降、植物採集会が10回ほど行われていた。1952年(昭和27年)、岡崎中学校の教員だった西山茂雄氏が幹事として参加。西山氏の尽力によって会誌「京都植物」(左写真)が創刊され、採集会(観察会)と会誌の発行という現在に至る活動のスタイルが確立する。京都植物同好会はこの会誌創刊をもって正式に歩み始めた。ちなみに創刊号は、京都大学植物学教室の広江美之助先生、村田源先生、堀川富弥先生が執筆されている。

 1953年(昭和28年)西山氏が帰郷され、西沢信一氏が新しく幹事になられた。植物学教室の北村教授、田川基二助教授を顧問とし、植物学教室の先生方の支援を得て、京都植物同好会は発展をしていく。

 1954年(昭和29年)伏見中学校の教員だった永井かな氏を新たな幹事として加え、高木虎雄、西沢信一、永井かなの三氏の体制で15年間、運営がされていった。

 1970年(昭和45年)高木虎雄氏が逝去された。高木氏のご子息であった高木俊夫氏が虎雄氏の遺業を引き継がれ新たな三氏の体制で運営がされることになる。永井氏は「花の手帳」(1980年)、「鞍馬・貴船の植物図譜」(1983年)を著され、京都大学教養部の講師もされたが、1984年(昭和59年)逝去される。永井氏が逝去される少し前、京都教育大学の生物学教室におられた田中徹氏(現代表)が幹事に加わり今日に至る。

 

 2023年(令和5年)田中徹氏が代表を退任される。

 新しい代表は同志社大におられた光田重幸氏。事務局長に服部眞夫氏。

 幹事(運営委員)は勝山晴夫、村木定子、白砂伸夫・知穂子、川辺龍太郎、澤田徹、丸山直樹、橋本満喜子。